開国と遊郭の横浜~品川散歩|シネマ・ジャック&ベティ|そのアパートでは変身できない

 11月20日、この日は古賀成美さんご出演の劇団シアターザロケッツさんの舞台を観劇する為上京、そのついでに昔初めて行ったミニシアター、シネマ・ジャック&ベティで映画を見るのが当初の目的でした。

 京都-横浜・品川間は今回も「ずらし旅」の新幹線割引券で移動し、現地では自転車移動を計画していましたが、雨天により桜木町駅まで電車移動、駅から徒歩でひとつ目の目的地、映画館シネマ・ジャック&ベティを目指すことに。

若葉町の治安を守る
ずらし旅切符
訪れた場所(横浜)

 大岡川沿いにてくてく歩くとそこはかつて青線地帯と呼ばれた黄金町。戦後にはじまり平成の世まで続いた違法売春地帯で、黒澤明の「天国と地獄」の地獄とはこの場所のことだそうです(歴史についてははまれぽ.comさんというサイトに詳しい)。平成に大摘発を受けた現在の黄金町は、平日の小雨ぱらつく昼間とはいえひっそりと静まり返った姿が印象的でした。
 黄金町から末吉橋を渡るとすぐそこがシネマ・ジャック&ベティ。ですがまだ上映時間まで時間があるので、映画館のある若葉町を通り過ぎ、賑わいのある横浜橋通商店街へ。

「桂歌丸通商店街」と改名の噂も

 商店街のには桂歌丸師匠の写真とイラストが並んでいました。どうやらこの商店街の隣がかつて赤線地帯と呼ばれた真金町。その前身は江戸時代の横浜村に開業した遊郭です。
 開業のきっかけはペリー来航の5年後、アメリカさんが江戸幕府と結んだ条約で、東海道上の神奈川宿(現在の東神奈川駅あたり)を開港する約束でしたが、幕府は「でもやっぱ東海道上は治安的にもまずいし…ちょっと外れた横浜村に開港したいなぁ、どうしたらこの条件飲んでもらえるかなぁ!」と思案しました。その結果、横浜村に港と外国人居留区と遊郭を設けることになりました笑(その辺の経緯はWikipediaに委ねる)、それから紆余曲折を経て移転を繰り返したのちに真金町に定着し、1958年の売春防止法の施行まで続きました。その真金町の遊郭に育った少年こそ後の桂歌丸師匠であり、地元を大事にする師匠は商店街との繋がりも大変深いものがあったようです。

現役の風俗街 曙町

 来た道を引き返すとすぐ大通りに面して風俗店が立ち並んでいます。私は真面目なので知りませんでしたが、ここが今なお風俗街として有名な曙町。一本内側の道へ入るとそこが通称「曙町親不孝通り」。戦前は政府公認の遊郭に対し、非公認の私娼窟として発展し、戦後を青線地帯として生き残り、現在は(たぶん)合法の風俗街として堂々と営業を続けています。
 ここで念のために私は横浜の風俗街の歴史を調べるためにここへ来たのではなく、歩いていたら風俗街の方から私にぶつかってきたと記しておきたいのですが、さすがは横浜、少しぶらぶらするだけであっという間に時間が過ぎ、もうすぐ映画の上映時間、映画館シネマ・ジャック&ベティへ向かいます。

シネマ・ジャック&ベティ
映画を見ながら食べるパンを調達

 ジャック&ベティの前身は1952年に米軍飛行場跡地に作られた横浜名画座。老舗ではありますが、この2,3年で岩波ホール,京都みなみ会館,名古屋シネマテークと名だたるミニシアターの閉館が相次ぎ、それすら大したニュースにもならないのですが、ここジャック&ベティからも存続の為クラウドファンディングを行うというニュースが届きました。それで郷愁にも駆られちょっくら足を向けたという運びです。

この日の映画メニュー
 
 この日は警察官がSMクラブに潜入する映画かポルノ女優とカメラマンが不倫をする映画を観ようと決めていました。時間帯の早い後者を見ることに。ウエスタン映画でもお馴染みのクラウス・キンスキーが甲冑を着て劇中劇を演じる姿など面白い映画でした。
 先に閉館した映画館名古屋シネマテークもクラウドファンディングでナゴヤキネマ・ノイとして再び立ち上がることになりましたが、募金だけでは営業はできませんから前途多難の業界かと思います。シネコンでは見られない映画も見られますし、映画館そのものの個性も楽しい場所ですので、興味本位で覗く人がたくさん増えればいいなと思いました。
 桜木町駅に戻り、立ち食い蕎麦の川村屋さんへ。ここも後継者問題で一度は閉店した老舗です。客の多いのも頷ける出汁の効いた美味しいお蕎麦でした。

オットセイのシャキット

 品川駅へ移動。まだ19時開演の舞台まで時間があるので、ずらし旅のクーポンをここで使います(ずらし旅のクーポンで利用できる施設はこちら)。
 マクセルアクアパーク品川はビル型の水族館、自分はなんと場違いな存在なんだと思いつつずんずん進みますと、アザラシにカピバラ、ペンギン、オットセイというコーナーがありまして、ここで随分時間を使って満喫しました。隣でイルカショーのある時間などは空いててゆっくりできます。

訪れた場所(品川)
土蔵相模跡

 品川駅から六行会ホールのある新馬場駅まで歩きます。まっすぐ歩けば20分程度ですが、旧東海道とその周辺を時間をかけて歩こうと思います。
 北品川駅から青物横丁駅あたりが江戸時代の品川宿で、目黒川を挟んで北側が北品川宿、南側が南品川宿と区分けされました。品川宿には吉原に比するほどの遊郭が栄え、石碑の残る土蔵相模には高杉晋作ら長州藩士が潜伏し、フランキー堺の出演した映画「幕末太陽傳」でその舞台となりました。

釣りバカ日誌1ハマちゃんの家付近

 遊郭のあった品川宿は人気の落語「居残り佐平治」「品川心中」の舞台ともなっています。先の幕末太陽傳が居残り佐平治のオマージュ作品ですね。品川心中では人の好い金蔵が花魁と海へ身投げを試みるも遠浅で…という場面がありますが、江戸時代の品川は東海道の東がすぐ海という地形。今は運河で海と繋がっており、その運河の船溜まりが映画「釣りバカ日誌1」に登場したハマちゃんの家の近所です。名優西田敏行さんの訃報を受け訪れずにはいられない場所でした。

台場小学校正門横の砲台跡碑
 
 ハマちゃんの家から少し南にあるのが御殿山下台場跡。「ペリーとかいうやばいやつ来たから海岸線防御しなきゃ!」ということで江戸時代末に近くの御殿山を切り崩し、遠浅の海を埋め立て大砲を置いた場所です。
 
御殿山に続く階段

 内陸方面へ歩くと第一京浜国道の向こう側、マンションの裏手が高台になっています。そこがかつての御殿山。開国を迫る諸外国に対して砲台を築くために切り崩された場所であり、開国後には英国公使館が遊郭に潜伏していた高杉晋作らによって焼討ちされた場所であります笑 生麦事件もそうですが、こういうことがあるから幕府は東海道上の港を開き居留地をつくることを嫌ったのでしょう笑


 雨宿りと時間調整のためにご飯を食べます。新馬場駅付近は中華のお店が多く、入ったお店も台湾料理の「榕城」さん。レバニラ定食を頼んだのは近くの名店「レバニラや金太郎」に引っ張られた部分もありました。とにかくご飯の進む味で、観劇前に食べ過ぎるのもいかがなものかと思いながら白飯をおかわりせずにはいられませんでした。

舞台のチラシと古賀成美プロマイド


 腹ごしらえも済んだので、劇団シアターザロケッツさんの舞台「そのアパートでは変身できない」を観るため六行会ホールへ。このホールを運営する六行会も江戸時代に南品川宿が母体となり始まったというからつくづく歴史というのは過去のものではないですね。

人物相関図

 物語の舞台はとある郊外のアパート。住民は世を忍ぶ仮の姿のヒーロー団と敵の組織。お互い相手の正体を知らず平和に暮らしていましたが…。そんなシチュエーションで楽しませてくれる作品で、古賀成美さんの役どころはヒーローのガールフレンド。彼女の一家がアパートに引っ越してくることから物語は大きく動き出します。やはり彼の正体を知らず、裏も表もなくカチューシャまでつけてますから王道のヒロイン的存在です。新境地ということでもないですが、稽古中からとても楽しそうで、コメディが大好きなのだろうとほっこりしていました☺

アパート

 全日程満員御礼となった舞台ですが、舞台美術も話題のひとつで、見た目の完成度の高さもさることながら、部屋の中から、板塀の木戸から、表門の植木の上から、演技をする実用性にも富んだ美術で、舞台のためだけに作ってすぐ取り壊すというのも凄いですね。
 ブルーレイの予約もしましたので、また家でゆっくりと楽しみたいと思っています。
 
 道中、遊郭や開国の歴史に引っ張られましたが、横浜や品川ほんの百数十年昔の大きなできごとが散歩にちょうどよい程度の痕跡となって残っていることよる必然性だったのでしょう。また来年の2月に古賀さんの舞台が六行会ホールでありますので、ジャック&ベティによってから観光しようと企んでいます。

 




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