樋口一葉 聖地巡礼🚲|ポップスガールズ~なんてったっけ?アイドル編

 東京で舞台を鑑賞ついでに観光。

 今回は樋口一葉の聖地をめぐりました。

 樋口一葉は短い生涯で15回の引っ越しをしたとされていますが、本郷を中心とした狭い範囲での引っ越しだったようです。一時期「たけくらべ」の舞台ともなった下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉)で暮らしており、そこに樋口一葉記念館もありますが、今回は東京駅から新宿へ向かうついでに寄れる場所(本郷~一葉終焉の地)を訪れました。

本郷界隈

 まずは幼少期の一葉ちゃんが住んでいた場所へ。現在は法真寺の敷地になっています。東京大学赤門の目の前にあり、現在表通りは学生さんが行き交います。東京大学が本郷の地で創設された明治10年は一葉がここへ移り住んだのとほぼ同時期だにあたります。

旅の足ドコモバイクシェアの自転車@法真寺

 その後、一葉は11歳まで学校に通い、14歳に文学を学び始めます。17歳で父が借金を拵えて逝去、家督を継ぎます。18歳で安い家を求めて母妹と共に移り住んだのが菊坂の家。赤門前の家からは自転車で5分の場所です。今訪れても一葉の住んで居そうな雰囲気を残しています。

樋口一葉菊坂旧居跡
 
 文学作品を執筆すればお金になると気付いた一葉が初めて原稿料を貰ったのが20歳の時。それでも貧乏暮しは相変わらずで、女3人の所帯をやり繰りするため、一葉日記には「伊勢屋がもとにはしる」の記述が何度も現れます。菊坂の住居から徒歩5分の場所にある伊勢屋質店は江戸時代から昭和末期まで商いをした質屋で、現在は跡見学園が買い取り、一般公開されています。
 
見切れていますが木造の建物も伊勢屋質店です

 一葉が22歳の時に移り住んだ場所も菊坂旧居跡の近所にあります。熱心に執筆活動を行い、亡くなるまでの2年間を過ごした場所です。こちらは大きな通りに面したスーパーマーケットの建つ敷地に碑が建っていますが、昭和初期の航空写真で見ると一本入った通りに家があったようです。『にごりえ』の舞台にもなったということから、現在とは印象の異なる場所だったのでしょう。

樋口一葉終焉の地

 一葉終焉の地から東側の急坂を上がると夏目漱石と魯迅の住居跡があります。更に東へ進み坂を下ると東京大学に戻ります。ここで昼食にします。素朴な味わいながらしっかり辛くて鶏肉が美味いカレーでした。

喫茶ルオー

 そのあと古賀成美さん出演舞台を観に新宿シアターブラッツへ。脚本・演出は西垣匡基さん。古賀さんがNMB48、西垣さんがヨーロッパ企画に所属していた時以来でご一緒したようです。初めて短編コメディの作品を鑑賞しました。脚本家と俳優の様々な表情が見られて長編とは違う満足度がありました。劇場のシアターブラッツは地下へ潜る雰囲気のある小劇場でした。

 夕食は日本橋の鰹節問屋直営店そばよしで。出汁の効いたそばと鰹節の振りかけていただく卵かけご飯の王道セットをいただきました。卵かけご飯の食べ方は柳家小三治流で、白飯の頭頂部に小さく穴を空け、卵の黄身を崩さず乗せ、そのままいただきます。美味でした。
 次は龍泉寺方面へも行ってみたいです🚴

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