コロナ旅 in 京都
旅のルート。

コロナの影響下にある京都ですが、三連休のこの日は天候も良く、先日の大川市長の宣言の効果もあってか、たくさんの日本人観光客が繰り出していました。南禅寺前の白川通りは平時の混雑具合で岡崎の動物園などはいつもより人が多いように見受けられました。
門川大作市長は報道陣に対し、「自粛が萎縮になってしまっているのが現状だ。感染防止は大事だが、健康と文化的生活を両立することも重要。専門家会議の注意点に該当しない範囲で、実施できるイベントがあることを知ってほしい」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200317-00000064-mai-soci
南禅寺へ来ました。品種により開花時期の異なる桜ですが、まだ数の少ない開花した桜を囲む撮影会が始まっていました。
150年前、明治時代に世界で感染拡大したコレラは日本でも大きな被害を出しました。琵琶湖から引いた水は、南禅寺の水路閣を通過し、様々な用途に活躍することになるのですが、コレラのような伝染病の対策として上水を整備する目的もあったそうです。またこの時期には日本各地で水道の整備が行われました。
京都市水道は明治45年 (1912) に京都市三大事業の一環として敷設され、琵琶湖疏水を上水源とした。明治期における都市の水道建設の動機の例にしたがい、京都も古来より豊富良質とされていた地下水の汚染がコレラ等の伝染病流行の原因になったためとされる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1981/3/0/3_0_38/_article/-char/ja/
明治時代の京都におけるコレラ関係の資料として、④pp.523-525にコレラ関係の古文書が、⑤pp.456-467に明治期のコレラ関係の布令書等が掲載されている。また、⑥のpp.263-265にコレラを含む戦前の伝染病患者数の推移があり、それによると明治年間の京都で9,745名の患者があり、うち死者数は7,876名と記されている。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000226102


というわけで、コロナと言いつつコレラの足跡を辿る旅です。しかし未知の感染症に接した当時の人々の様子というのは、今とさほど変わらない印象があります。
平安神宮に隣接する岡崎公園へ来ました。
日本初の鉄道(新橋-横浜間)を走ったのは蒸気機関車ですが、京都では日本初の電車が走りました。動力が違いますね。その電気を作っていたのがやはり琵琶湖疏水だったようです。琵琶湖疏水は衛生に一役担った一方で、パンデミックを担う文明の利器でもあったんですね。文明と感染症は切っても切れない関係があるようです。
1826年から1837年までの大流行は、アジア・アフリカのみならずヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的規模となった。以降、1840年から1860年、1863年から1879年、1881年から1896年、1899年から1923年と、計6回にわたるアジア型コレラの大流行があった。この大流行の背景には、産業革命によって蒸気機関車、蒸気船など交通手段が格段に進歩し、また、インドの植民地化をはじめ世界諸地域が経済的、政治的にたがいに深く結びつけられたことがある。とはいえ、これほど短期間のうちに「風土病」から「パンデミー(世界的流行病)」へと一挙に広がって人類共通の病気となった例はめずらしい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
コレラが空気感染しないこと、そして幕府は箱根その他の関所で、旅人の動きを抑制することができたのが、江戸時代を通じてその防疫を容易にした最大の要因と考えられている。事実1868年(明治元年)に幕府が倒れ、明治政府が箱根関所を廃止すると、その後は2 - 3年間隔で数万人単位の患者を出す流行が続く。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%83%A9#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%83%A9


祇園神社で祇園祭に関わらぬ”茅の輪くぐり”が行われるのはコレラの大流行以来というが行われるということです。また、桜の季節が始まるということで市長が観光PRをしていましたね。そんな観光都市の京都とその中心である神社が自粛ムード緩和に向け狼煙をあげたのですから、コロナ対策で他の都市やイベントのモデルケースとなる姿を想像していました。しかし少し残念なことになりました笑
来た人に立て看板で”マスクしてください”とのことです。中で働いてる人がマスクしてなかったり笑。私はやるやらないの二元論ではなく対策が大事だと思うのです。またその対策こそビジネスチャンスだと思うのですが…。不特定多数の来客がある神社などは検査の対象からは外れるのかもしれませんが、まさに神頼み。
京都市東山区の八坂神社では新型コロナウイルス感染の収束を願って、くぐると無病息災にご利益があるとされる『茅の輪』が設けられています。通常は祇園祭の前後に設置されるもので、八坂神社によりますと、祭りの時期以外の設置はコレラが大流行した1877年以来だということです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200313-00032054-mbsnewsv-l26
門川大作市長は報道陣に対し、「自粛が萎縮になってしまっているのが現状だ。感染防止は大事だが、健康と文化的生活を両立することも重要。専門家会議の注意点に該当しない範囲で、実施できるイベントがあることを知ってほしい」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200317-00000064-mai-soci

吉田神社へ来ました。江戸末期のコレラ流行時には吉田神社の勧請(神仏を他の地に分け移して祭ること)に走る村があったと高橋敏さんが書いています。この日はその面影もなく長閑な吉田神社でした。
本稿は、人々の動向を駿河国駿東郡下香貫村(現沼津市下香貫)と深良村(現裾野市深良)で検証する。この二つの事例を取り上げたのはもちろん動向を記録した史料に恵まれたこともあるが、共通して京都吉田大元宮の勧請によってコレラの災厄を除こうしたことに注目したからである。何故に吉田神社の勧請に走ったのか。
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005748384/
吉村昭さんはコレラ流行時に起きた流言について書いています。
▼コレラ菌が見つかっていない明治初期の話である。医師は治療に奔走するが、消毒のため井戸に投げ込んだ石灰を毒薬と曲解され、村人らから凄惨(せいさん)な暴行を加えられる。史実を基にした吉村昭さんの短編「コロリ」で描かれた悲劇である
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/148219
古今東西その対象は変化しても様々な信仰や風説・流言があるようですが、未知の感染症を目前にしたとき神仏を信仰することも、満員電車を信ずることも、トイレットペーパーを収集することも…本質的には同じように思います。信じるに足る根拠のある情報源や対策の待たれる今日この頃です。

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